Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”
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日本の“当たり前”はいつから当たり前?(1)
9月20日に行われた自由民主党(以下「自民党」)総裁選挙の結果によって、安倍晋三内閣総理大臣が総裁に再選され、引き続き内閣総理大臣(以下「首相」)としての任にあたることになりました。
日本では基本的に、国会でもっとも多くの議席をもつ政党の党首(呼称としては「総裁」「代表」「委員長」など)が首相を務めています。これは議院内閣制のもとでの慣行ですが、他国ではどうなのでしょうか?また、日本ではいつから始まったのでしょうか?
国民の投票によって選ばれた議員によって構成される議会が立法権を行使し、首相が率いる内閣(政府)によって法が執行される(行政権)という議院内閣制は、世界史上ではイギリスが起源でした。初めて「首相」(Prime Minister=総理大臣)と呼ばれたロバート?ウォルポールは、1721年に国王に代わって閣議を主宰するようになります。そして、1741年の総選挙後の採決に敗れて退陣したことで、現代における議院内閣制国家の政治リーダーと近いイメージになりました。「総理『大臣』」という言い方からも分かる通り、首相は大臣です。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』といったRPGで出てくる「大臣」と同じで、本来は王様や皇帝といった君主を支える家来(の中でもえらい方の人)という意味でした。国民による選挙結果を受けて、議会での議席配分が決まります。そのうえで議会での採決によって首相が指名されるため、先述のようにもっとも多くの議席をもつ政党の党首が首相に選出されるわけです。ここでは議会での指名に加えて、君主が改めてその人物を首相に任命することで二重の正統性をもつことになります。つまり政治のリーダーを選ぶという重要事について、君主の決定だけでも、国民の多数決だけでも決まらないという安全弁が働いていることが分かるでしょうか。なお現在は世界196か国のうち、世襲の君主が存在する君主制国家は、イギリス国王を自国の王として戴く16か国(英連邦王国)を除けば、わずか30か国足らずです。
アメリカやフランス、ロシアのように、首相ではなく大統領(President)が行政のトップである国々もあります。基本的に君主の存在しない国家(共和国といいます)において、国民の選挙で選ばれることが大統領の最大の正統性です。大統領の選出は、議会でどの政党の議席が多いかということに左右されないので、多数党の党首以外が行政のトップになることもあります。大統領は、君主のような自分より上の立場の人間から任命されるわけではないので、そのぶん首相よりも権限が強くなりやすいとも言えます。一方で国内メディアは安倍首相が強権的であるように報じることが多いようですが、もともと日本の総理大臣は権限が弱いということで、逆に今世紀に入って大統領のように国民が選挙で直接選出する首相公選制が一部で主張されたくらいでした。
今の国際社会において最古の国家である日本(『日本書紀』によると初代神武天皇の建国が紀元前660年)は、当然最古の君主国でもあります。日本で内閣ができたのが明治18年(1885)、議会ができたのは大日本帝国憲法制定の明治22年(1889)です。そして戦後の昭和22年(1947)日本国憲法施行により、名実ともに議院内閣制となりました。しかし、その1300年以上前の飛鳥時代に制定された十七条憲法でも第17条に「夫事不可獨斷必與衆宜論」、つまり重要事を決定する場合は必ずみんなで議論すべきであると述べられているように、西洋で民主主義が唱えられるはるか前から民主主義的な精神が根付いていました。明治時代を迎えて今年でちょうど150年を迎えますが、明治以降の近代化にせよ外圧によって突然(仕方なく)為されたものばかりではなく、建国以来長らく培われてきた精神あってこそのものだという見方もできます。
現行の政治システムの起源がどこにあるかということについて、制度面と思想/精神面双方から見つめ直すことで、日本の本来の姿が改めて見えてくるかもしれません。