Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”
「passport(パスポート)」は、観光や外国語、国際ニュースなどをテーマに、
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インドネシア法制史研究にかかる前田精海軍少将の個人史研究のための聞き取り(岩手県盛岡市)
本コラムで令和6年10月01日に「インドネシア法制史研究にかかる前田精海軍少将の個人史研究のための鹿児島出張」と題して鹿児島出張のことを記した。今回の記事はその続きである。
鹿児島出張後、加治木町の「前田」表札のあったお家の主の従兄弟にあたる人からわたくし宛にコンタクトがあり、「岩手県盛岡市に前田精海軍少将の姪がおられるのではないか」という趣旨の情報の提供を受けた。
そうして岩手県盛岡市で「クラフトショップ彩」を経営しておられる湯口靖彦?由紀子ご夫婦の奥様がまさしく前田精の姪であることが分かり、戦後ブランコを押してもらった思い出のお話などを聞くことができた(書簡の往復)。
そして今般、次の写真をぼかしなしで使用してよいとの許可を得たので公開する。
写真1:前田精海軍少将8人兄弟姉妹(出典:湯口由紀子氏所蔵。撮影日大正6年8月24日。長男稔、次男精、三男三郎、四男貢、長女稲、次女米、三女豊、四女秀が写っている。向かって一番左が前田精。)
写真1は、前田精海軍少将が8人兄弟姉妹であることを示すものである。前田精のWikipedia記事(令和6年11月26日現在)を閲覧すると、あたかも前田精が3兄弟のような印象を受けるが、真実は8人兄弟姉妹であった。わたくしは日頃から学生に対するレポート?論文執筆指導の際に「Wikipediaをそのまま引用してはいけない。Wikipediaが参考にしている引用資料まで遡るように。」と指導しているところ、いかに一次データにあたることが大切であるかを示す好例となった。
写真2:前田稔海軍中将(左)と前田精海軍少将(右)兄弟ツーショット(出典:湯口由紀子氏所蔵。)
写真2は、前田稔海軍中将と前田精海軍少将兄弟ツーショットである。前田稔海軍中将のWikipediaでは写真が掲載されておらず(令和6年11月26日現在)、貴重な資料である。
また、湯口靖彦?由紀子ご夫婦も前田精海軍少将の個人史に関心を示してくださり、熱心にご親戚などに訊いてくださっている。その関連で、鹿児島県姶良市歴史民俗資料館では館長の指揮で前田精海軍少将の個人史の調査を進めてくださることとなった。
すでにいくつか成果もお聞きしており、雑誌「柁城」各号等によれば、前田精の父の前田甚助氏は枕崎小学校の第5代校長であったこと、男兄弟4人は全員旧制加治木中学校卒業であること、女姉妹4人のうち少なくとも2人は鹿児島県女子師範学校で学んでいたことが明らかとなっている。
前田精海軍少将の個人史の資料が鹿児島県姶良市ないし加治木町の博物館に集積されることはとても望ましいと思う。やっと光が当たるべきところに光が当たったように感じる。前田精海軍少将の個人史の資料が鹿児島県にあるとなれば、インドネシア人旅行者が鹿児島県を訪れるきっかけの一つともなるかもしれない。
わたくしはインドネシア法研究者であるけれど、本学は大阪観光大学であり、今まさに将来のインバウンド観光の観光資源が創造されていくプロセスを目の当たりにしているようで、興味深く思う。
幸運にも、前回記事で課題であった前田精につながる人からの聞き取りが進んでいる。インドネシア法制史研究にかかる前田精海軍少将の個人史研究の成果は改めて研究雑誌に投稿する予定である。